衛星データを活用した気候変動の物理的影響評価と経済モデル統合の現状と課題
はじめに
気候変動は、物理的なシステムに多大な影響を及ぼしており、その影響の正確な評価は、適応策や緩和策の立案、経済的リスクの定量化にとって不可欠です。従来の物理的影響評価は、地上観測データや数値モデルシミュレーションに大きく依存してきましたが、広域かつ継続的な観測、特にアクセスの困難な地域におけるデータ取得には限界がありました。近年、リモートセンシング技術の発展に伴い、衛星データが気候変動の様々な物理的側面を捉える強力なツールとして注目されています。
本稿では、気候変動の物理的影響評価における衛星データの活用事例とその成果を経済モデルに統合する試みの現状を分析し、関連する課題と今後の展望について考察します。
気候変動の物理的影響評価における衛星データの活用
衛星データは、地球上の様々な物理的プロセスを、広範囲にわたって定期的かつ客観的に観測することを可能にします。気候変動に関連する主要な物理的影響評価において、衛星データは以下のような分野で活用されています。
- 海面上昇: 衛星搭載型高度計(例: Jasonシリーズ、Sentinel-3)は、海面の高さを精密に測定し、全球および地域的な海面上昇の傾向と変動を把握するために不可欠なデータを提供しています。同時に、GRACE/GRACE-FOミッションのような衛星重力観測は、陸氷や氷床の融解による質量の変化を捉え、海面上昇の要因分析に貢献しています。
- 陸域水循環: 衛星マイクロ波放射計や合成開口レーダー(SAR)は、土壌水分、積雪面積・深度、地表水の分布を観測します(例: SMAP, Sentinel-1, GPM)。これらのデータは、干ばつや洪水のモニタリング、水資源管理、植生状態の評価に活用され、気候変動による水循環の変化や極端な水文現象の頻度・強度評価に貢献しています。
- 植生と生態系: 可視・近赤外域の放射計(例: Landsat, Sentinel-2, MODIS)から得られるデータは、植生指数(例: NDVI, EVI)の算出を通じて、森林火災、病虫害、干ばつ等による植生の変化や、生態系生産性の変動を広域的に把握することを可能にします。これにより、気候変動が生態系サービスに与える影響の評価が進められています。
- 氷圏: 光学センサーやSARは、氷河や氷床の範囲、速度、表面融解のモニタリングに利用されています。また、熱赤外センサーは表面温度を測定し、融解プロセスの理解に役立ちます。これらのデータは、将来の海面上昇予測や地域的な水資源への影響評価に不可欠です。
これらの衛星データは、現場観測データや気候モデルの出力と組み合わせることで、気候変動による物理的影響の現状把握とその将来予測の不確実性を低減する上で重要な役割を果たしています。
衛星データに基づく物理的影響評価成果の経済モデルへの統合
気候変動の物理的影響は、農業、水資源、沿岸インフラ、生態系サービスなど、様々な経済セクターに影響を及ぼします。これらの物理的な影響を経済的な損失や費用として定量化し、経済システム全体への影響を評価するためには、物理モデルの出力や観測データを経済モデルに組み込む必要があります。
特に、統合評価モデル(Integrated Assessment Models, IAMs)や応用一般均衡モデル(Computable General Equilibrium Models, CGEs)のような経済モデルにおいて、衛星データに基づく物理的影響評価成果を統合する試みが進められています。その主な手法としては、以下のようなものが挙げられます。
- 被害関数の精緻化: 衛星データから得られる植生状態や水資源の状況、海面上昇速度などの物理指標を、農業生産性の変化、水不足によるコスト増、沿岸部の資産価値下落といった経済的被害と関連付ける関数(被害関数)の構築に利用されます。これにより、気候シナリオごとの物理的影響の大きさに応じた経済的影響を、よりデータに基づいて推計することが可能になります。
- 空間的解像度の向上: 衛星データは高い空間解像度を持つ場合があり、地域ごとの物理的影響の異質性を捉えることができます。これを経済モデルに組み込むことで、地域経済への影響評価の精度を高め、よりきめ細やかな適応策の検討に貢献します。
- リスク評価の高度化: 衛星データに基づく極端現象(洪水、干ばつ、熱波など)の観測記録は、これらの事象の発生頻度や強度に関する統計的な知見を提供します。これは、経済モデルにおける気候関連リスクの確率的な評価や、レジリエンス評価に活用されています。
しかしながら、衛星データに基づく物理的影響評価成果を経済モデルに統合するプロセスには、いくつかの課題が存在します。
- 異種データの統合と不確実性: 衛星データ、地上観測データ、モデル出力、経済統計データなど、異なる性質と解像度を持つデータを整合的に統合する必要があります。また、各データや評価手法に伴う不確実性を適切に扱い、それが経済モデルの結果にどのように伝播するかを評価することは容易ではありません。
- 物理的プロセスと経済的影響の非線形性: 複雑な物理的プロセス(例: ティッピングポイント)や、それが経済活動に与える非線形な影響を、経済モデルのフレームワーク内で適切に表現することは技術的に難しい場合があります。
- データアクセスと処理能力: 膨大な量の衛星データを処理し、物理モデルや経済モデルに組み込むためには、高度な技術スキルと計算資源が必要です。
結論と展望
衛星データは、気候変動の物理的影響を広域的かつ定量的に評価するための貴重な情報源であり、その活用は着実に進んでいます。特に、海面上昇、水循環、植生、氷圏といった分野における観測は、物理的影響の現状把握と理解を深める上で重要な役割を果たしています。
これらの衛星データに基づく物理的評価結果を経済モデルに統合する試みは、気候変動が経済システムに与える影響をよりデータに基づいて、かつ精緻に評価することを可能にしています。これにより、より効果的な適応策や緩和策、気候関連リスク管理策の検討に資する知見が提供されつつあります。
一方で、異種データの統合、不確実性の伝播評価、複雑な物理・経済プロセスのモデル化、そしてデータへのアクセスと処理能力といった課題も存在します。今後の研究においては、これらの課題を克服するための学際的なアプローチ、特にリモートセンシング、気候科学、経済学、データサイエンスといった分野間の連携強化が不可欠です。
衛星データの継続的な取得と解析技術の向上、そして物理モデルおよび経済モデルの高度化と連携手法の開発が進むことで、気候変動がもたらす多面的な影響の理解はさらに深まり、より強靭で持続可能な社会の構築に向けた科学的根拠に基づいた意思決定が促進されることが期待されます。