気候変動アナリティクス

気候変動モデル連携と不確実性伝播:地球システムモデルと統合評価モデルの接続、経済・政策分析への影響

Tags: 気候変動モデル, 地球システムモデル, 統合評価モデル, 不確実性評価, 経済モデル, 政策分析

はじめに

気候変動問題は、物理科学、経済学、社会科学、工学といった多岐にわたる分野が複雑に絡み合う地球規模の課題です。この複雑性を理解し、将来の気候変動とその影響を予測し、効果的な対策を検討するためには、高度なシミュレーションモデルが不可欠です。その中でも、気候システムの物理・化学・生物学的プロセスをシミュレーションする地球システムモデル(ESM)と、排出経路、経済活動、技術開発、政策オプションなどを統合的に評価する統合評価モデル(IAM)は、それぞれ異なる側面から重要な情報を提供しています。

しかし、これらのモデルはそれぞれ独自の構造、仮定、そして不確実性を有しています。特に、ESMが将来の気候状態に関する物理的な制約や可能性を示唆し、IAMが社会経済システムにおける緩和・適応の選択肢とそのコスト・効果を評価する際に、両モデル間の連携や、それぞれのモデルに内在する不確実性がどのように伝播し、最終的な経済・政策分析に影響を与えるかは、依然として重要な研究課題です。

本稿では、ESMとIAMの連携における最新の研究動向に焦点を当て、特にモデルに内在する不確実性の評価とその伝播メカニズム、そしてそれが気候変動の経済的影響評価や政策決定プロセスに与える示唆について分析します。

地球システムモデル(ESM)の不確実性と限界

ESMは、大気、海洋、陸域、雪氷圏、さらには炭素循環などの生物地球化学サイクルを統合的に表現することで、温室効果ガス濃度上昇に対する地球システムの応答をシミュレーションします。IPCC評価報告書においても、将来の気候予測の中心的なツールとして利用されています。

ESMによる気候予測には、いくつかの主要な不確実性要因が存在します。主なものとして、以下の点が挙げられます。

これらの不確実性は、将来の気温上昇幅、地域的な気候変動パターン、極端気象イベントの頻度・強度予測などに影響を与えます。IPCC第6次評価報告書においても、排出シナリオの不確実性に加えて、モデル構造の不確実性や炭素循環フィードバックの不確実性が、特定の温度目標達成の可能性を評価する上での主要な課題として指摘されています。

統合評価モデル(IAM)の不確実性と限界

IAMは、エネルギーシステム、土地利用、産業、経済活動、人口動態といった社会経済システムと、気候システムや生物圏を連結し、気候変動の緩和策や適応策が経済や社会に与える影響を評価するために使用されます。長期的な排出経路や、特定の気候目標(例: 1.5℃目標)を達成するための技術選択、投資、政策コストなどを分析する際に用いられます。

IAMに内在する不確実性は多岐にわたります。代表的なものとして以下の点が挙げられます。

これらの不確実性は、気候目標達成のための経済的コスト、緩和策の費用対効果、将来の気候被害額の推定値に大きな幅をもたらします。

ESMとIAMの連携:課題と最新の手法

ESMとIAMはそれぞれ異なる時間・空間スケール、プロセス表現で設計されています。ESMは主に物理気候システムの詳細を数十年から数百年スケールで解析する一方、IAMは数十年から100年以上の長期的な社会経済・技術システムを比較的粗い空間解像度で扱います。このスケールの違いや、モデル間で共通する変数(例: 地球温暖化の程度、炭素循環、土地利用)の定義や扱いの違いが、両モデルを連携させる上での主要な課題となります。

これまでの連携手法としては、主に以下のタイプがあります。

  1. 逐次カップリング: IAMで計算された排出経路をESMの入力として利用し、ESMの出力(例: 地球温暖化の程度)をIAMに戻して被害関数や気候ペナルティとして考慮する方法。最も一般的な手法ですが、ESMの結果がIAMの排出経路計算にリアルタイムでフィードバックされないため、相互作用を完全に捉えきれません。
  2. オフライン連携: ESMによる詳細な物理的影響評価(例: 海面上昇、極端気象の変化)の結果を、独立して開発された経済モデルや影響評価モデルに入力し、経済的な損失などを評価する方法。これは完全なESM-IAM連携ではありませんが、ESMの詳細情報を経済分析に反映させるアプローチです。
  3. より高度な双方向連携: ESMとIAMを動的に接続し、IAMの排出経路がESMの物理応答を駆動し、その物理応答がIAMの経済・社会システムの進化にリアルタイムでフィードバックされるようなシステム。計算負荷が高く、モデルインターフェースの設計が複雑ですが、より包括的な相互作用の分析を可能にします。最近では、特定の研究目的のために、より緊密な連携を目指す取り組みが進められています。

これらの連携手法の選択は、分析したい課題、利用可能な計算資源、そしてモデル設計の思想に依存します。特に、複数の不確実性要因(ESM側とIAM側)が連携システム内でどのように相互作用し、最終的な出力に影響を与えるかを評価するためには、高度な手法やモンテカルロシミュレーションのような不確実性伝播解析が不可欠となります。

モデル連携と不確実性が経済・政策分析に与える示唆

ESMとIAMの連携モデルや、個々のモデルに内在する不確実性の評価は、気候変動に関する経済・政策決定において重要な示唆を与えます。

まず、ESMが予測する将来の気候状態(例: 平均気温上昇、地域的な降水パターン変化、極端気象の頻度・強度)の不確実性は、IAMが評価する気候被害の推定値に直接的に影響します。例えば、同じ排出シナリオでも、ESMのモデル構造の違いによって最終的な温度上昇予測に幅がある場合、それをIAMの被害関数に入力すると、気候変動による経済損失の推定値も同様に幅を持ちます。これは、将来の気候変動対策の便益を評価する際に考慮すべき重要な要素です。

次に、IAM側の技術進歩や社会経済シナリオの不確実性は、特定の気候目標を達成するための緩和コストや実行可能性に影響します。例えば、再生可能エネルギーやCCS技術のコストが予測よりも早く低下する場合、同じ緩和目標をより低いコストで達成できる可能性があります。逆に、これらの技術開発が遅れる場合は、コストが増加するか、あるいは目標達成自体が困難になる可能性も示唆されます。

さらに、ESMとIAMの連携における不確実性の伝播を定量的に評価することは、リスク管理型の政策決定を支援します。例えば、特定の排出削減目標を設定する際に、ESMの気候感度やIAMの技術コストの不確実性を考慮に入れることで、「〇〇パーセントの確率で△△℃上昇に収まるためには、少なくとも年間××ギガトンの排出削減が必要であり、そのコストは最悪ケースでYYドル、最良ケースでZZドルと推定される」といった、確率的な情報に基づいた意思決定が可能となります。これは、不確実性の高い状況下での頑健な政策(Robust Policy)や柔軟な政策(Flexible Policy)を設計する上で有益です。

また、モデル連携の精度や不確実性の評価は、国際的な気候変動交渉や各国の貢献目標(NDCs)の設定にも影響を与えます。異なるモデルや評価手法によって気候目標達成のコストや効果の推定値が大きく異なる場合、交渉の根拠となる科学的・経済的情報に対する信頼性や解釈の統一が課題となります。

今後の課題と展望

ESMとIAMの連携および不確実性評価に関する研究は、さらなる進展が求められています。今後の主要な課題としては、以下の点が考えられます。

結論

気候変動問題への効果的な対応のためには、気候システムの物理的理解と社会経済システムの応答を統合的に捉えるモデリングが不可欠です。地球システムモデル(ESM)と統合評価モデル(IAM)の連携は、この統合分析を可能にする強力なアプローチですが、両モデルに内在する不確実性の存在とその伝播メカニズムの理解は、分析結果の信頼性を評価し、データに基づいた頑健な意思決定を行う上で極めて重要です。

最新の研究は、ESMとIAMの連携手法を進化させつつ、モデル構造や入力情報の不確実性が、将来の気候予測、経済影響評価、緩和コスト推定に与える影響を定量化しようとしています。これらの分析結果は、気候変動対策の費用対効果、リスク管理、長期戦略策定といった経済・政策課題に対して、より現実的かつ確率的な視点を提供します。

今後、モデルの精度向上、不確実性評価手法の洗練、そして学際的な連携の深化を通じて、気候変動モデリングはさらに進化し、持続可能な社会の実現に向けた意思決定プロセスを科学的に支援する上で、より重要な役割を担うことが期待されます。